Wednesday 21 March 2018

猫であることを知らない猫


"Jemima" by Felicia Jarvis
©2018Felicia Jarvis All Rights Reserved

家の中で飼われ、一度も外に出たことのない猫がいる。
生まれたときに少しの間、母猫に育てられたが、すぐに、引き離された。
それ以来猫を見たことがない。
外にも出たことがない。
彼は自分が猫であることを知らない。
鏡に映る、4つ足の生き物が、自分であることの確証もない。
なぜ自分だけ、言葉を放さず、「にゃあ」としか言えないのかわからない。
なぜ自分だけテーブルで食べることを許されないのか、トイレの形が違うのか、変なコロコロしたものばかりを食べさせられるのか、背が低いのか、わからないことだらけだが、それほど深刻になるほどのことではないと、答えを出すことをあきらめている。

宇宙的な規模でいうと、人類社会全体がこの猫のようなのかもしれない。

人類は、人類がどうあるべきかわからないのだ。
原始社会を人間の根源として述べる人もいるが、それも、確信できない。
もしかしたら人類は、人類の本来の姿を全く経験していないのかもしれない。
原点を失ったとすれば、きっと、人類の原始社会が始まる前のことだろうと思う。
社会という組織だったものが形成される前に、何か重要なものを失ったのだろうと思う。
そうでなければ、現代のような問題は起きていなかっただろうし、人間が人生の目的を見いだせないで苦しむということもなかったはずだ。
目的がないのであれば、自然と求めないはずだと思う。
何かがかなり初期の時点で、おかしかったのだと思う。
この猫は、いろいろ疑問を抱えて生きている。
答えを出すことを半分以上あきらめている。
そして今日も、食べることと寝ることだけを楽しみに生きている。 

2 comments:

  1. 実に深淵で根本的な問題をも、Felicia さんはこのように身近でみんなが愛する猫についての日常的な話題から始まっているように思わせることができる。あなたの今回の記事は、他のたくさんのあなたの記事や詩と同じく、日常の話から始まって詩や哲学に奥深く入り込んでいますね。

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  2. 多分私の日常が、日常的でないのかもしれません。空想癖があると、日常からあっちこっちの非日常に飛んで行ってしまいます。

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