Saturday 15 August 2020

忘れていた

 最近、音楽を聴こうという気分になった。それで、何を聞こうと探していたのだけれど、聞きたいものが特にない。それでも何か聞きたいので、まず

マックス・リヒターが、アレンジしているビバルディの春は、気持ちがよかった。

その後、 ブラームス、それで何か、もっと新しくて、感動できるものと思って、探したけれど、特に見つからない。

最高にエモーショナルな音楽とか、最高に美しい音楽とかあって、写真もきれいだからと期待すると、ステレオタイプの環境音楽で、薄っぺらいシンセの音が入ると、もう、聞いていられない。

みんな、どこかで聞いたことがあるようなものばかりで、誰かが言ってたけど、有名なミュージシャンの曲を書いている、偉大なゴーストライターがいるそうだ。

ああ、空しいと思いながら、やっと、少しだけ、Radio Headでほっとした。


インスタントラーメンは、美味しいけれど、味にコクや深みがない。でも、手軽だし、安いし、好きな人は大好きだ。

音楽も、絵画も、映画も、インスタントラーメン化している。

何十年も前だけど、高校生の野球部が、たくさんインスタントラーメン差し入れてもらって、たくさん食べていたら体をこわしたというニュースがあった。

栄養のないものは、カロリーだけはあって、ごはん代わりにもなるかもしれないけど、精神的にも、身体的にも、益はない。害は、そこそこ食べるには特にない。ビタミン添加なんかで、体によさそうなこと言うかもしれない。ビタミンなんか、後で添加しても、体に何も益はない。ビタミンも、食品から取らないと、ただの化学物質だ。そういうことはいろいろなところから聞いている。

本当の食べ物が食べたい。本当に、人間が、正直に作った作品を、見たり聞いたりしたい。ビタミン剤のようなこじつけではなくて、正直に、自己観察をして、 心の底から湧き上がってきた作品を味わいたい。

インスタントラーメンは美味しい。 でも、それは、本当の食べ物の味を忘れているから、いえることかもしれない。

音楽も、インスタントラーメン化している。ゴーストソングライターは、今日も忙しく、曲を書いているだろう。困ったものだ。

Tuesday 14 April 2020

新しいものを受け入れる元気がない社会

Youtubeで時々、音楽を聴く。モダンクラッシックは、Max Richter、Arvo Part、それから、ミニマリストの音楽、18世紀後半の印象派などの音楽が好きでよく聞く。
しかし、ちょっとユニークなものを探そうと思うと、かなり難しい。ステレオタイプのリラクシゼーション音楽が、たくさん出ている。画像が結構面白くて、期待して聞き始めるのだけれど、つまらなくなってしまう。なんだか、深みが無くて、加工食品を食べているような感じがする。

新しいものは、理解するのが難しい。新しいといっても、ある程度、人々が持っている共通の概念の中にはまっていなければ、ただの雑音と化してしまう。
素晴らしい音楽は、それを受け入れる器を持つ、聴衆が必要だ。
それでも、ユニークなものは、鑑賞する側にそれなりのエネルギーを要求する。

社会が疲れると、そういう元気が人々の中から消えて行ってしまう。

それを最近、何となく感じる。

Friday 10 April 2020

あぁぁぁ!家にいられる。

家に閉じこもるのが楽しくて仕方のない私は、いつもの日常に戻ることがだんだん怖くなってきた。
小さいころから、家にいるのが好きで、母は、何とか私を外に出そうと、いろいろ工夫をしていたのを覚えている。お昼を外で買って、お山の上で食べたりした。シャボン玉が好きだったので、良く買ってくれた。シャボン玉は、お外で遊んでねと言って。
 ほっておくと、家の中で、暗くなるまで一人で遊んでいた。本をよんだり、お絵かきしたり、折り紙したり、周囲に友達がいなくても、まったく不自由を感じなかった。

学校は本当に嫌いだった。不自由だし、うるさい。特に、給食は、学校で一番嫌いな時間だった。一番好きなのは、テストの時間。静かで、一人で黙々と何かができる。

コロナのロックダウンでは、罪の意識を感じることなく、ずっと家にいられる。 コロナで苦しんでいる人たちには、申し訳ないけれど、私には、ストレスが軽減されている機関だ。

Thursday 26 March 2020

翻訳業はつらいよ

日本語のProof readerのレイティングのためのテストがあった。
契約書の一部を、日本語に訳すというものだった。

結果は、平均的とあり、どこを間違えたかが指摘されていた。

Please note that regarding the part of clause 6.2, the translation is assumed to refer to only the present tense as in しているwhich is not adequate because the source explicitly refers to the present and the future.

 なんということ、この人は日本語を知らない人だ。

実際この指摘されている場所は、否定形の文章が来る。「していない」と私は書いた。これは、「している」の否定形だ。問題は、私のこの文章の時制が間違っているとのこと。
している も していない も同じ時制なのに。



However, I am using していない, that is the present tense but, negative form. I think that is correct.

と書くしかなかった。

翻訳業というのは、ターゲット言語を知らない人がクライアントなので、 いい仕事をしても、気づいてもらえないことがある。

なんてさみしい仕事だろう。

Tuesday 24 March 2020

基本的権利によって損なわれる基本的権利

男尊女卑は確かに存在する。しかし、女性の権利を掲げて戦っている人々の中には、何を求めて戦っているのかわからなくなっている人もいるのかもしれない。
女性が尊重されるとは、どういうことを意味するのだろうか。

仕事上の地位なのだろうか、賃金なのだろうか、それとも、自由意志を持つ人間として生きることを許される社会を求めているのだろうか。

果たして男性は、能力を正しく判断され、それに見合う賃金をもらっているのだろうか。そして、自由意志を持つ人間として、社会の中で扱われているのだろうか。

お腹の中の胎児は、どうだろう。これは命のない、ただの「出来物」なのだろうか。

堕胎は、胎児の基本的な人権を損なうことの名ではないだろうか。お金や地位のために、尊い命が奪われてゆくのは、非常につらい。たとえ親がレイプの犯人だとしても、この子供になんの罪があるのだろうか。感情的に子供を育てるのが無理ならば、里子に出す手もある。

基本的人権を主張する一方で、それを主張できない本当の弱者の人権が奪われているとしか思えない。

色々な事情があると思うが、、一人の人間の命よりも重い「事情」が実際、どのくらいあるのだろう。

Monday 23 March 2020

現状


コロナによって、スペインは封鎖状態。昨日、またその封鎖が15日間伸びたという知らせを聞いた。
買い物は、一家に一人だけ外出が許される。車はあまり走っていない。そのせいか、空気がきれいになった。景色が美しい。
仕事に関しては、オンラインなのであまり影響は出ていないが、この先、減るかもしれない。
小さいころから家で何かをしているのが好きだったから、外出しなくてもよいということで、ストレスは少ないぐらいだ。


人間の経済活動は、しばらくストップしたほうが良いのではないかと、美しい景色を見て感じてしまう。

Friday 6 March 2020

間抜け

私は、このブログで正直に、思ったことを書いているけれど、正直、何を書いても、どこか間が抜けているように思えてしまう。
公正かつ広い視野に立って物事を見て、それを表現したいと願ってはいるものの、私には能力の限界がある。

思考には時間がかかり、視野には限界がある。

でもどうせ書くなら、ちょっと探せば見つかるような考えではないものを書きたい。




Monday 24 February 2020

砂嵐

砂嵐を体験した。
サハラからの砂があたり一面に広がって、 外の景色が見えなくなり、夕方には、あたり一面オレンジ色に包まれた。

カーニバルは中止。それでがっかりすることはないのだけれど、この日を目指して、一生懸命準備して来た人々は気の毒だ。

別の国では、コロナの影響でカーニバルが中止になったところもあるようだ。

サハラから待ってくる砂は「カリマ」と呼ばれる。これが、アレルギーを引き起こしたりもする。このカリマが、砂嵐になってやってきたら、アレルギーの人はつらいだろうな。

とりあえず私は、外には出ていないけれど、目がかゆい。


人にはいろいろ計画や目標があって、それを目指して努力をする。
でも、予期しない出来事があり、 その目標が達成できないこともある。

そういう状態に陥ったときに、人生そのものをやめてしまう人もいるだろう。

いろいろなものに命を懸ける人もいる。芸術家、職人、技術者、それから、愛する人に尽くすのが人生の目的のように感じている人もいる。これが自分の子供だったら、悲劇だ。子供は、いずれ親から独立して、一人の人間として生きてゆくから。

私は、何を人生の目標にして生きるかは、個人の選択で、自由だと思っているけれど、私自身は、仕事や、ライフワーク、人に尽くすことが、人生の目的にはなりえないと思っている。目に見える実績は、目標ではなく、結果だと思う。

人生の最大目標は、周囲の出来事に阻まれることはない、もっと、普遍的なものだと思う。

砂嵐で中止になるものは、最重要事項ではないのだと思う。

Saturday 22 February 2020

Independence written by Felicia-J

Independence

A virtuous king sings love songs
His people are intoxicated with his voice
But he never loves them

The king poisons his people
with collective narcissism,
and in-group satisfaction

The king beautifies nationalism
It tastes like the sweetest wine
"Drink it and all suffering will disappear"

Independence, an empty treasure chest
Another form of enslavement
People call it "freedom"


独立するといっても、それによって問題が解決するわけではない。
自由、独立というのは、人々が問題の特効薬のように感じていて、必死になって求めるものだけれど、その実態が曖昧で、不確かで、不安定。
それを利用して、 自分でも本当は訳のわかっていない自由を約束する野心的な政治家たち。

独立の宣伝効果として、ナショナリズムが強調される。
一種の集団ナルシズムだ。

自分の居場所というものが、社会の中に存在するというのは、この上ない喜びだということは大いに認める。
ただ、多くの場合、そのきずなを強め、グループ内の自分の地位を上げるために、「敵」を作り上げようとする人々がいる。その敵が、別の人種、国、競合グループだったりする。そこに、大きな問題がある。
はじめは、純粋に良い動機で始まったものも、そういう野心的な人々によって、目的が捻じ曲げられる。これは、世界の政治的歴史を見ればよくわかる。物事の解決よりも、自分たちの地位固めを始める。

で、何が言いたいかというと、人間の政治には、希望がないということ。 じゃあどこに希望があるかというと、マタイ書6章9,10節にある通り。
この答えで、がっかりする人もいるかもしれないけれど、それには理由がある。
その理由は、またいつか書くことにする。


日本の怪    Mysteries in Japan (with English translation)

詩を書いた。日本語のほうは、あまり良い出来栄えではないです。

英語のほうが、メインだと考えてください。

 

日本の怪    Mysteries in Japan (with English translation)

苦しみをひたすら隠し
もののあわれを噛みしめる

俳句や短歌は物言わぬ表現
固定観念の中で
美しく理解される

非自己表現的、自己表現
主語のない文章
動詞は最後

理解しあっているような気がするというけれど
でも本当は、
きちんと話し合わなければいけません


Feeling beauty in ambiguity
Hidden pain and suffering
Secretly enjoying the pathos of things

Haiku and tanka are silent expressions
The beauty is appreciated
among people with similar ideas

Silent self-expression
Sentences without subjects
Verbs come last

Illusion of having mutual understandings
But real understanding always requires
a real communication

Unclear concepts are
covering over the country
just killing time by working hard

Tuesday 14 January 2020

言い訳、言い逃れ、嘘、怠惰は人の性なり

人は、言い訳、言い逃れをし、嘘をつき、自己の怠惰に起因する問題に対する責任を逃れようとする。
人間とはそういうものだとあきらめておく方が、物事がうまくゆくらしい。




Wednesday 8 January 2020

平和的多様性コミュニティというファンタジー

人の信条は様々で、同じ信条を持つ人であっても、その信じ方には違いがある。
自分の心情を表現したいという欲求や、それを他の人にも信じてもらいたいという強い欲求は、人間として非常に自然なものだ。それに加えて、周囲とうまく付き合いたいとも考える。
こうした状況下で試行錯誤を繰り返して発展してきた、多様性コミュニティというのは、まあまあ住みやすいだろうと思う。しかし、平和的で完璧な多様性コミュニティは、実現不可能だろうと思う。


どんな社会に住んでいようと、自分と人を同化してしまう傾向のある人は、自分の信じることを他の人も信じないといけないと考える。しかし、学ばない限り、普通は自他の同一視のままで大人になってゆくのだろうと思う。この部分がしっかりできていないと、他の人の信条を尊重し、自分の信条も尊重してもらうなどの関係は絶対にありえない。

加えて、個人の信条を、自由に、平和的に表現することができる社会の実現は不可能であろうと思うのは、人は、神を信じるのではなく、その時その時に現れる、政治的な影響力を持つ野心的な指導者に信仰を持つ。聖書やコーランは、時代と共に都合よく解釈される。競争や野心のある所には、思想の誘導があり、多様性が否定される。

さらに、多様性といっても、平和を実現するには、宗教の教えが平和を尊重していなければならない。宗教は本来気持ちの優しい平和的な人々をも、他の人の生存を脅かすような行動に駆り立てることができる。。

思想、宗教の自由は人間の基本的な権利とはいえ、その権利が完璧に擁護される状況は想像がつかない。それを追求することは、まるで、霧の中の的に矢を射るような感じだろうと思う。






Monday 6 January 2020

温暖化を否定する人々

まずは、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58761?page=4 から引用します。
 地質学者ドン・イースターブルックの声も聞こう。「いまシロクマは1970年代の5倍もいるから、温暖化で苦しんでいるはずはありません。また、過去1万年の気温を振り返れば、現在より0.5~5℃も暖かい時期を生き延びたため、いま問題があるはずはありませんね」。

今朝読んだのですが、ちょっと読むと、確かな情報のように思えます。
しかし、この情報に何かが抜けているのがわかりますか。
そうです、ドン・イースターブルックがいつこのことを述べたかという情報です。
少し検索をしてみました。
以下の記事を見つけました。

https://www.theguardian.com/environment/planet-oz/2017/dec/19/checkmate-how-do-climate-science-deniers-predictions-stack-up

Cooling any minute

Don Easterbrook is a geology professor at Western Washington University who has been making predictions of imminent global cooling for the best part of two decades.
Easterbrook, a regular at climate science denial meetings run by the Heartland Institute, rejects the role of increasing CO2 and thinks that all you need for predicting future climates is to look at natural cycles of the past.
So in 2001 Easterbrook thought: “If the cycles continue as in the past, the current warm cycle should end in the next few years, and global warming should abate, rather than increase, in the coming decades.”
So it was any minute now for cooling. In 2006 Easterbrook said: “The current warm cycle should end soon and global temperatures should cool.”
In 2008 he wrote that his “predicted cooling seems to have already begun”.
That year he also wrote: “In a nutshell, in 2001 I put my reputation on the line and published my predictions for entering a global cooling cycle about 2007 (plus or minus three to five years), based on past glacial, ice core, and other data ... If the present cooling trend continues, the [United Nations climate change] reports will have been the biggest farce in the history of science.”
So, what happened?
According to NOAA, the following year, 2009, was the fifth warmest year on record, 2010 tied for the warmest, then 2011 and 2012 were relatively cool at the 11th and 10th warmest years. When the data was in for 2013, it was the fourth warmest year. The years 2014, 2015 and 2016 were all progressively ranked warmest on record.
That global cooling is just round the corner though. Any minute now.

さて、この博士が「いまシロクマは1970年代の5倍もいる」と言ったのは、ずいぶん前のことですね。その後、2006年に温暖サイクルはすぐに終わると述べています。
しかし、2006年から約13年たって、実際のデータを見ると、決して温暖化が終わっているわけではありません。

日本語のサイトは JBpressというサイトです。以前も、環境についてのひどい記事がありました。「地球の気温は1.5℃しか上がっていない」ということを書いていましたが、実は1度上がるだけでも、ものすごいことになるのです。温暖化対策は、人々を貧困に陥れるなどのようなことも書いてました。それも、もっともそうなデータを使って書いてましたが、そのデータの使い方には、疑問を感じます。

ついでにこのサイト、ニュース記事にコメント欄がありません。

なぜ、温暖化を否定したいのか、何か裏がありそうです。


忘れていた

 最近、音楽を聴こうという気分になった。それで、何を聞こうと探していたのだけれど、聞きたいものが特にない。それでも何か聞きたいので、まず マックス・リヒターが、アレンジしているビバルディの春は、気持ちがよかった。 その後、 ブラームス、それで何か、もっと新しくて、感動できるものと...