Tuesday 20 March 2018

私のブログMy Longest Dream of the Shortest Sleepについて

先週、My Longest Dream of the Shortest Sleepというブログを始めたけれど、これは、私の詩と、画像用にしておこうと思い、また新しくこのブログを作りました。
ここでは、日常のことや、自分の学習について、書いてゆこうと思います。


これはうちのジャマイマという猫を私が油絵で描いたものです。
なぜ気球が飛んでいるか、それも、ジャマイマは気球など気にしてないように、そっぽを向いている。そもそも、猫と気球はどういう関係にあるのでしょうか。
この気球は?マークにも見えます。ジャマイマは、何かを考えているようにも見えます。
 それは、私が実際、ジャマイマを見ながら、「ジャマイマは何を考えているのだろう。」と思うことが頻繁にあります。猫の顔は、あまり表情が変わらず、怒っているのか、楽しんでいるのか、自分が好かれているのか、嫌われているのか、さっぱりわかりません。それで時々、不安になるんです。
たかが猫、なんですけどね。

時々、何も考えずに描いた絵が、後から、実は自分の中にある思いや、考えなどを表していたことに気が付くことがあります。
あまり説明してしまうと面白くないので、見る人が、それぞれの思いで、見てくださればいいなと思います。

3 comments:

  1. なるほど、気球が question mark にも見えるとは、気づきませんでした。それはともかく、僕自身も犬や猫を見て、「こいつは何を考えてるんだろう?なんでこいつらは勉強しないんだろう?もしかして人生について考えているのか?何のために生きているのか、意識しているのだろうか?」などと考えます。

    しかし同時に、そんなことを考えないでいられない人間の方が下等であり、何も考えていないように見える動物たちの方が上等なのかもしれないとも思います。

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  2. なーるほど、変なこと考える人間のほうが、下等かもしれない。。。ですね。

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  3. 僕は20歳くらいから30歳くらいまでにかけて、実存主義に凝っていましたが、その中でも特に Jean-Paul Sartre の L'Etre et le neant (Being and Nothingness, 存在と無) に耽溺していました。それをどの程度に僕が理解していたかはともかく、彼の議論の中で、人間が意識を持つ限りは永遠に何ものをも本当には認識しえない、という話が出ます。人間が本当に何かを認識しようとしたら、無生物のようにその対象物そのものになりきらないといけないと言います。つまり、例えば石という存在を本当に理解しようとして意識でそれを把握しようとしても無駄であり、本当はその石そのものにならないといけないというのです。しかし、その石そのものになるということは死ぬということを意味します。

    つまり、人間が石を本当に理解しようとすると、死ぬしかない。しかし死んだら、意識もなくなるのだから、そもそも石を理解することも不可能になる。だから石を理解しようとすると、人間は意識を持ったまま、同時に石になりきらないといけない(つまり石と共に無生物にならないといけない)というわけです。しかし無生物になるということは、意識がなくなるということです。

    Jean-Paul Sartre は、このようにして人間存在は永遠にものを本当に認識することはできない、とかいうようなことを言っていたと思います。なお、僕のこの知識は、30年も40年も前に耽読した本から仕入れたもので、この30年以上も放ったらかしにしているので、きわめて不正確になっているかもしれません。

    それはともかく、人間は意識を持っていて、自らの存在の意義について、あるいは数万年前の過去や数万年後の未来や、あるいは数億光年のかなたのことを考えることができるけど、しかしそんなことを意識によってやっている限りは人間は本当には対象を認識できず、したがって自らの存在意義を把握することもできず、本当に理解しようとしたら人間は猫や犬やプランクトンや、はたまた石のようにならねばならないということも言えます。

    そういう理由で、実は動物や虫や石の方が実は人間よりも上等な存在かも知れないと思ったりもするのです。イエスが、神の前では地位や知能の高い大人よりも、実は目の前にいる子供の方が上級な存在なのだと言ったとき、僕が言うようなことにつながるようなことも言っていたのではないかという気がするのです。

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