Monday 21 October 2019

日本って安い

日本は高いと思っていたけれど、最近、そうでもないなと思う。
翻訳の仕事を探すために、いくつかの業者とやり取りをしたけれど、あまりの報酬の安さに、びっくりする。以前は、日本語の文字1つに対し、10円ということもあった。でも、某アウトソーシングの紹介サイトでは、5円でも高すぎる。ネイティブレベルの翻訳書と言われる人たちが、2円、3円で引き受けいている。

これでokを出してしまったら、ワーキングプアーのパターンにはまり込む。

日本で暮らしていれば、ただの貧乏で終わるところが、スペインで自営業者がこれをやると、まさに自殺行為になる。スペインでの自営業者の税金の高さは有名なのだ。
 ヨーロッパ全体をみると、通常の仕事の時給は待遇は、日本よりはるかに良い。日本で働き、海外で暮らすというのが良いと以前は思われていたが、今は全くそうではない。

日本は安い国だ。でも、お金がかかるような人付き合いや、ライフスタイルを強いられる。ただ、勇気と、自尊心があれば拒否することもできる。

正直、最近翻訳の仕事を継続してゆく自信がなくなった。ネイティブレベルを求める仕事でも、日本人のように英文が書けないと理解されない。それに、仕事が本当にできるというよりは、多くの翻訳者は、はったりで生きているように思う。

それよりは、もっと、英語や日本語を直接使用して、何か別の仕事をしたほうが良いように思う。

以前から英語の詩を書いているけれど、そういうものが、仕事になったらいいな。

本を出した。
https://www.amazon.com/dp/1690071567?ref_=pe_3052080_397514860

Sunday 20 October 2019

短い人生

信じてもらえないかもしれないけれど、私には、生まれたばかりのころの記憶がある。
まだ、言葉がわからなかったのが、だんだんわかるようになり、自分でも話せるようになってきたことを覚えている。
小さいころに見た夢、人が言ったこと、何を想像していたか、何を食べてどう感じたかを鮮明に覚えている。

生れたのが、そんなに前のことのように感じていない。

数日前に57になった。10年20年なんてあっというまだ。だんだん、死が近づいてくるのだけれど、つくづく短い人生だなあと思う。

やっと最近、自分のことがうっすらわかってきたというのに。

Saturday 19 October 2019

「都合の悪い現実」よりも実はもっと都合が悪い More inconvenient than "An Inconvenient Truth"

Al Goreのキャンペーン映画、An Inconvenient Truthという2006年年の作品がある。
温暖化というのは、人間の経済活動にとって都合が悪いというわけだ。
 その後、温暖化防止のために、各産業界は具体的な対策を取り始め、温暖化防止のための様々な法律を作っていった、
これが政治のキャンペーンに使用されるというわけだから、人間はこの時点でまだ希望を捨てずにいた。今もそうだ、人々は絶望から、薄紙一枚隔てて、希望に縋り付いている、

希望を持ち続けることは非常に重要なのだけれど、現実が絶望的であるということも見てゆかないといけない。どうやって???

まず、理解しないといけないのは、今、および予想可能な将来における人間の能力を把握しないといけない。それで、今ある問題を解決できるだろうかと問う。

実際、この方法で、現実を見ると、絶望的だということがわかる。環境だけの取り組みでは無理な話だ。問題は急を要するが、解決には、根本的な解決が求められる。根本的な解決というのは、時間がかかるし、常に、何らかの犠牲が求められる。犠牲を払う場合、優先順位の設定が求められる。根本からの解決に万事OKなどはない。

 さらに、絶望したように見られる問題の場合、一から物事を考え直す必要がある。自分の物事のとらえ方だったり、全く異なる分野からのつながりを求めたり。。。

環境問題の解決は、人間の存在意義を問うことにつながってくる。
そもそも、人間だけではなく、動物、植物、地球そのもの、宇宙全体が、なぜこうして存在しているのか、これを考えることが、唯一、希望につながってくるのだとおもう。

時にその答えは、人々がさげすむ、または意にも留めない事柄に隠されていることがある。

そもそも、この素晴らしい自然が、偶然に出来上がったと考えるほど、幻想的なことはない。そこに、創造者の存在を、本当に認めることができるなら、そこに希望を億個tができる。創造者が愛情を込めて作ったものを破壊する状況は、必ず取り除かれると考えることができる。

現実は、時に幻想のように聞こえ、幻想が、現実ととらえられることがある。メディアを介して、これが集団でおこなわれる。様々な言語があるので、これが言語ごとに行われることもある。自分のいる世界は、現実味を帯び、現実を幻想と思うものである。問題があるときは、こうした自分の世界から一歩離れて考える必要がある。

これは私にも当てはまる。

Wednesday 16 October 2019

グレタさんに叱られて

多くの大人たちは、グレタさんの演説からお叱りを受けて、逆切れをしているようだ。彼女の演説の中で、実際、意味のあったデータは、あまり取り上げられていない。
どちらにしても、人間の手には負えない状況なのだけれど、希望がないと生きられない私たちは、希望を作り上げて、何とか生活をしている。その作り上げられた希望実現のための政策も実現できずに、一瞬でも長く生きようともがいている。

ある種の子供たちはというと、大人に、何とかしてくれとデモをしているけれど、実際、彼ら自身は、特に具体的な改善のための行動はとっていない。プラカードを持ってつっ立っている時間があれば、もっと環境について勉強するとか、ごみ拾いをするとか、電気消費量を削減するためにビデオゲームをやめるとかしたほうが、大人にアピールできるのではないだろうか。大人にアピールしても、まず、大人の環境問題の解決能力を期待することはできない。

グレタさんに、現実はもっと複雑なのだよと教えてあげようとする人もいるらしいが、そういうことを言う人物の多くは、悪事を、善行に見せかけるために複雑なことをして、のし上がってきたに違いない。まっとうなことを言っている人間に批判されたときに、言い返す手口として、「世の中そんなに簡単じゃない。」「まだ青い」「年を取ればわかる」というものもあるけれど。

彼女の言っていることは、決して間違えていない。あまりに当たり前のことで誰でも知っていることだろう。

ところである新聞記事に、温暖化よりも、その対策のほうが被害が大きいと書いた変な記事があったが、あまりのすごさに、コメントしようとしたら、コメント欄がない記事だった。世界の気温の上がり方は、たったの1.5℃とか書いていたが、1℃上がるということが、どんなにすごいことか、どうやら知らないらしい。有害な温暖化対策をやめて、今まで通り、がんばって利潤を追求し、貧困を広げないようにしようじゃないか。という話だったように思う。

貧困の原因がどこにあるかもわかっていないのだろうか。

以前、ソビエト連邦が崩壊し、ロシアとなり、ゴルバチョフの下で改革が行われた。今まで、上の命令でだけ動いてきた人々が、突然、命令ではなく自らの意思で労働しなくてはならなくなった。それで、一時的な経済の混乱があった。東ドイツの崩壊でも、そうだった。たとえ良い変化であっても、過渡期の一時的混乱は避けられないものだ。社会の思春期のようなものだ。しかし、やらなければならないことは、やらないといけないのだ。

環境問題を解決するためには、かなりの大きな変化が求められる。多分、人社会の基盤そのものをひっくり返さないと問題は解決されない。今まで、甘い汁を吸ってきた階級だけではない、この変化で一時的に苦しい思いをするのは、労働者階級や、貧困層も含まれるに違いない。かわいそうだけれど、これが現実だ。永遠に続く苦しみをとるか、一時的な苦しみをとるかの選択なのかもしれない。

でも、実は、手遅れなのだ。地球を創造した神以外解決できない。無神論者で、かつ非常に現実的な人間にとっては、とても苦しい時代だろうと思う。

Sunday 6 October 2019

何がネイティブだ!と言いたくなる時

「どうせ誰も読まない」という前提で書いた記事が、読まれていると「しまった!」と思う。誰かの批判を偉そうに書く資格などないと解ってはいても、ついつい書いてしまう。自分が、傲慢になるときがあるのも、よくわかっているのだけれど、正直に表現することで、さらに現状を理解することもできるし、ストレス解消にもなる。

すこし、憐れみをもって読んでいただきたい。

ネイティブにもわかるとか、ネイティブのように英文を書くとか、いろいろ宣伝文句がうたわれているけれど、いったいこのネイティブとはだれのことなのだろう。

英語を母国語とする国は多く、また、公式の言語として使用している国はもっと多い。
米国一つ取ったって、文化もいろいろで、しゃべり方だって違う。比較的面積の小さな英国だって、50以上の方言やアクセントがしゃべられている。

Tを発音しなければ(実はしている)、ネイティブに聞こえるなどと言っている人もいるが、そういう人は、Tをはっきり発音する英国人の英語を、聞いたことがあるのだろうか。英国の一部では、Rをあまり発音しない。

日本人の日本語にもいろいろあるように、ネイティブの英語のレベルもまちまちだ。

ネイティブのように話す必要は、どこにあるのだろうか。人それぞれ、いろいろな考え方があり、いろいろな物事の表現方法がある。日本人が、英語を話すときに、日本的な考えや表現方法を用いて、何が悪いのだろう。自分のことを正直に表現するべきだと思う。
時折、日本人が英語を話していると、やけに芝居がかった印象を受けることがある。私はこういうのに、耐えられないと思うけど、耐える以外に方法がないので、耐えることにしている。

ネイティブとはだれか、なぜネイティブのように話さないといけないのか、何がネイティブだ!

私には、アフリカ人、インド人、フィリピン人たちの話す英語が、とても素敵に聞こえる。


Saturday 5 October 2019

英語の翻訳

チョムスキー(Noam Chomsky)という言語学者がいる。この人は、著書Syntactic Structures
の中で、Colorless green ideas sleep furiously.  という、文法的には正しくても、理解できない文章を紹介している。まあ比喩的な意味を重ねると、まったく意味をなさないわけではないが、人によって理解が変わってくる。
この文章によって彼が説明したかったのは、複雑な文法モデルに関してだった。これに関して私は、あまり興味がないというか、私には理解できない、大げさに言うと言語学、物理学的、社会科学、心理学をまぜこぜにしたような理論になる。
今現在の私の能力では、歯磨き粉と、ウイスキーを混ぜ、それにホイップクリームと、イカ墨のシロップをかけたような理論にしか聞こえない。

とりあえず、日本語でも英語でも、文法的に正しくても、意味がちんぷんかんな文章というものはあるものだ。日本語で考え、日本語で表記する場合、わざとナンセンスな言葉遊びを楽しむ場合は除き、あまりチンプンカンプンな文章は書かないだろうと思う。

しかし、日本語で発想し作成した文章を英語に翻訳するときに、頻繁にこういうことが起きる。複雑な文章の一字一句を、忠実に英訳すると、かなりの確率で、チンプンカンプンになる。

翻訳を始めたばかりのころ、私はこういう失敗をかなりしていたと思う。今だから告白するけれど、意味が解らず、数学の方程式を解くように訳していた。イギリス人の夫のネイティブチェックがなかったら、たちまち仕事がなくなっていただろう。夫に叱られながら、20年近く積み重ねた経験によって、やっと、日本語と英語の発想の違いや、意味を理解して、英文を書くことがなんとかできるようになったところだと思う。

私の場合、はじめから、夫がネイティブチェックをしてくれていたので、いろいろそこから学ぶことができたが、もしこれが、日本人の翻訳家で、納品後、もう修正された翻訳を見ることや、説明を受けることがない場合、どうやって進歩するのだろうと疑問に思う。

TOEIC900点以上という翻訳家の仕事を何度か見たことがある。夫が彼らのネイティブチェックをするときに、どんな素晴らしい翻訳をしているのだろうと、のぞいてみた。ちょっと驚いたのだけれど、英文として意味をなさない、日本語発想の文章が頻繁に見受けられた。


私はTOEICなどの、資格を証明するものは持っていないし、専門は芸術なので、どこかの翻訳事務所に雇ってもらうには、かなり不利だと思う。特に日本では。

最近契約書を翻訳し、クライアントの側の日本人チェッカーによって、添削を受けた。はじめは、謙遜に学ぼう、こんな良い機会はないと思っていたが、ふたを開けてみたら、期待外れだった。たくさん修正箇所があると言われたが、チェッカーの間違えや、語彙の狭さが目についた。また、英文契約書を、あまりたくさん読んでいないようでもあった。日本語原文の理解にも問題があった。
ちなみに、日本語原文には、かなり御堅い文書でも、日本語文法の間違えがたくさんある。それを、そのまま訳すと意味が変わってしまう。ちゃんと、何を言わんとしているのか、文書全体の流れを汲みながら理解しないといけない。
多くの生真面目で、勤勉な人の問題点は、原文の間違えなど、予測できないような事態に柔軟に対応できないところにあるのだろうと思う。日本語原文の間違えは、かなり多い。契約書にもある。文字一語一語にとらわれるので、全体が把握できなくなる。普段から、テキストブックや、翻訳対象の文書ばかり見ていて、英文を楽しんでいないのかもしれない。
ところで、最近、無料のオンライン辞書の情報は、本当に信用できなくなった。わからない単語や熟語は、辞書ではなく、予測をして、英文で通常の検索をする。自分で書いた言い回しも、検索して、それが本当に使用されているかを確認する。さらに、そうした言い回しが含まれている文書が、誰によって作成されているかも確認する。

ところで、正しく、美しい日本語に出会うことはめったにない。そういう意味で、実務翻訳は、実につまらない翻訳だ。感動がない。

翻訳業とは、英語のわからないクライアントのための英語翻訳サービスだけれど、いい仕事をしたと、本当に評価してくれるのはいったい誰なのだろうと、ときどき思う。


忘れていた

 最近、音楽を聴こうという気分になった。それで、何を聞こうと探していたのだけれど、聞きたいものが特にない。それでも何か聞きたいので、まず マックス・リヒターが、アレンジしているビバルディの春は、気持ちがよかった。 その後、 ブラームス、それで何か、もっと新しくて、感動できるものと...