Saturday 5 October 2019

英語の翻訳

チョムスキー(Noam Chomsky)という言語学者がいる。この人は、著書Syntactic Structures
の中で、Colorless green ideas sleep furiously.  という、文法的には正しくても、理解できない文章を紹介している。まあ比喩的な意味を重ねると、まったく意味をなさないわけではないが、人によって理解が変わってくる。
この文章によって彼が説明したかったのは、複雑な文法モデルに関してだった。これに関して私は、あまり興味がないというか、私には理解できない、大げさに言うと言語学、物理学的、社会科学、心理学をまぜこぜにしたような理論になる。
今現在の私の能力では、歯磨き粉と、ウイスキーを混ぜ、それにホイップクリームと、イカ墨のシロップをかけたような理論にしか聞こえない。

とりあえず、日本語でも英語でも、文法的に正しくても、意味がちんぷんかんな文章というものはあるものだ。日本語で考え、日本語で表記する場合、わざとナンセンスな言葉遊びを楽しむ場合は除き、あまりチンプンカンプンな文章は書かないだろうと思う。

しかし、日本語で発想し作成した文章を英語に翻訳するときに、頻繁にこういうことが起きる。複雑な文章の一字一句を、忠実に英訳すると、かなりの確率で、チンプンカンプンになる。

翻訳を始めたばかりのころ、私はこういう失敗をかなりしていたと思う。今だから告白するけれど、意味が解らず、数学の方程式を解くように訳していた。イギリス人の夫のネイティブチェックがなかったら、たちまち仕事がなくなっていただろう。夫に叱られながら、20年近く積み重ねた経験によって、やっと、日本語と英語の発想の違いや、意味を理解して、英文を書くことがなんとかできるようになったところだと思う。

私の場合、はじめから、夫がネイティブチェックをしてくれていたので、いろいろそこから学ぶことができたが、もしこれが、日本人の翻訳家で、納品後、もう修正された翻訳を見ることや、説明を受けることがない場合、どうやって進歩するのだろうと疑問に思う。

TOEIC900点以上という翻訳家の仕事を何度か見たことがある。夫が彼らのネイティブチェックをするときに、どんな素晴らしい翻訳をしているのだろうと、のぞいてみた。ちょっと驚いたのだけれど、英文として意味をなさない、日本語発想の文章が頻繁に見受けられた。


私はTOEICなどの、資格を証明するものは持っていないし、専門は芸術なので、どこかの翻訳事務所に雇ってもらうには、かなり不利だと思う。特に日本では。

最近契約書を翻訳し、クライアントの側の日本人チェッカーによって、添削を受けた。はじめは、謙遜に学ぼう、こんな良い機会はないと思っていたが、ふたを開けてみたら、期待外れだった。たくさん修正箇所があると言われたが、チェッカーの間違えや、語彙の狭さが目についた。また、英文契約書を、あまりたくさん読んでいないようでもあった。日本語原文の理解にも問題があった。
ちなみに、日本語原文には、かなり御堅い文書でも、日本語文法の間違えがたくさんある。それを、そのまま訳すと意味が変わってしまう。ちゃんと、何を言わんとしているのか、文書全体の流れを汲みながら理解しないといけない。
多くの生真面目で、勤勉な人の問題点は、原文の間違えなど、予測できないような事態に柔軟に対応できないところにあるのだろうと思う。日本語原文の間違えは、かなり多い。契約書にもある。文字一語一語にとらわれるので、全体が把握できなくなる。普段から、テキストブックや、翻訳対象の文書ばかり見ていて、英文を楽しんでいないのかもしれない。
ところで、最近、無料のオンライン辞書の情報は、本当に信用できなくなった。わからない単語や熟語は、辞書ではなく、予測をして、英文で通常の検索をする。自分で書いた言い回しも、検索して、それが本当に使用されているかを確認する。さらに、そうした言い回しが含まれている文書が、誰によって作成されているかも確認する。

ところで、正しく、美しい日本語に出会うことはめったにない。そういう意味で、実務翻訳は、実につまらない翻訳だ。感動がない。

翻訳業とは、英語のわからないクライアントのための英語翻訳サービスだけれど、いい仕事をしたと、本当に評価してくれるのはいったい誰なのだろうと、ときどき思う。


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