Sunday 6 October 2019

何がネイティブだ!と言いたくなる時

「どうせ誰も読まない」という前提で書いた記事が、読まれていると「しまった!」と思う。誰かの批判を偉そうに書く資格などないと解ってはいても、ついつい書いてしまう。自分が、傲慢になるときがあるのも、よくわかっているのだけれど、正直に表現することで、さらに現状を理解することもできるし、ストレス解消にもなる。

すこし、憐れみをもって読んでいただきたい。

ネイティブにもわかるとか、ネイティブのように英文を書くとか、いろいろ宣伝文句がうたわれているけれど、いったいこのネイティブとはだれのことなのだろう。

英語を母国語とする国は多く、また、公式の言語として使用している国はもっと多い。
米国一つ取ったって、文化もいろいろで、しゃべり方だって違う。比較的面積の小さな英国だって、50以上の方言やアクセントがしゃべられている。

Tを発音しなければ(実はしている)、ネイティブに聞こえるなどと言っている人もいるが、そういう人は、Tをはっきり発音する英国人の英語を、聞いたことがあるのだろうか。英国の一部では、Rをあまり発音しない。

日本人の日本語にもいろいろあるように、ネイティブの英語のレベルもまちまちだ。

ネイティブのように話す必要は、どこにあるのだろうか。人それぞれ、いろいろな考え方があり、いろいろな物事の表現方法がある。日本人が、英語を話すときに、日本的な考えや表現方法を用いて、何が悪いのだろう。自分のことを正直に表現するべきだと思う。
時折、日本人が英語を話していると、やけに芝居がかった印象を受けることがある。私はこういうのに、耐えられないと思うけど、耐える以外に方法がないので、耐えることにしている。

ネイティブとはだれか、なぜネイティブのように話さないといけないのか、何がネイティブだ!

私には、アフリカ人、インド人、フィリピン人たちの話す英語が、とても素敵に聞こえる。


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