人は、言い訳、言い逃れをし、嘘をつき、自己の怠惰に起因する問題に対する責任を逃れようとする。
人間とはそういうものだとあきらめておく方が、物事がうまくゆくらしい。
Tuesday, 14 January 2020
Wednesday, 8 January 2020
平和的多様性コミュニティというファンタジー
人の信条は様々で、同じ信条を持つ人であっても、その信じ方には違いがある。
自分の心情を表現したいという欲求や、それを他の人にも信じてもらいたいという強い欲求は、人間として非常に自然なものだ。それに加えて、周囲とうまく付き合いたいとも考える。
こうした状況下で試行錯誤を繰り返して発展してきた、多様性コミュニティというのは、まあまあ住みやすいだろうと思う。しかし、平和的で完璧な多様性コミュニティは、実現不可能だろうと思う。
どんな社会に住んでいようと、自分と人を同化してしまう傾向のある人は、自分の信じることを他の人も信じないといけないと考える。しかし、学ばない限り、普通は自他の同一視のままで大人になってゆくのだろうと思う。この部分がしっかりできていないと、他の人の信条を尊重し、自分の信条も尊重してもらうなどの関係は絶対にありえない。
加えて、個人の信条を、自由に、平和的に表現することができる社会の実現は不可能であろうと思うのは、人は、神を信じるのではなく、その時その時に現れる、政治的な影響力を持つ野心的な指導者に信仰を持つ。聖書やコーランは、時代と共に都合よく解釈される。競争や野心のある所には、思想の誘導があり、多様性が否定される。
さらに、多様性といっても、平和を実現するには、宗教の教えが平和を尊重していなければならない。宗教は本来気持ちの優しい平和的な人々をも、他の人の生存を脅かすような行動に駆り立てることができる。。
思想、宗教の自由は人間の基本的な権利とはいえ、その権利が完璧に擁護される状況は想像がつかない。それを追求することは、まるで、霧の中の的に矢を射るような感じだろうと思う。
自分の心情を表現したいという欲求や、それを他の人にも信じてもらいたいという強い欲求は、人間として非常に自然なものだ。それに加えて、周囲とうまく付き合いたいとも考える。
こうした状況下で試行錯誤を繰り返して発展してきた、多様性コミュニティというのは、まあまあ住みやすいだろうと思う。しかし、平和的で完璧な多様性コミュニティは、実現不可能だろうと思う。
どんな社会に住んでいようと、自分と人を同化してしまう傾向のある人は、自分の信じることを他の人も信じないといけないと考える。しかし、学ばない限り、普通は自他の同一視のままで大人になってゆくのだろうと思う。この部分がしっかりできていないと、他の人の信条を尊重し、自分の信条も尊重してもらうなどの関係は絶対にありえない。
加えて、個人の信条を、自由に、平和的に表現することができる社会の実現は不可能であろうと思うのは、人は、神を信じるのではなく、その時その時に現れる、政治的な影響力を持つ野心的な指導者に信仰を持つ。聖書やコーランは、時代と共に都合よく解釈される。競争や野心のある所には、思想の誘導があり、多様性が否定される。
さらに、多様性といっても、平和を実現するには、宗教の教えが平和を尊重していなければならない。宗教は本来気持ちの優しい平和的な人々をも、他の人の生存を脅かすような行動に駆り立てることができる。。
思想、宗教の自由は人間の基本的な権利とはいえ、その権利が完璧に擁護される状況は想像がつかない。それを追求することは、まるで、霧の中の的に矢を射るような感じだろうと思う。
Monday, 6 January 2020
温暖化を否定する人々
まずは、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58761?page=4 から引用します。
地質学者ドン・イースターブルックの声も聞こう。「いまシロクマは1970年代の5倍もいるから、温暖化で苦しんでいるはずはありません。また、過去1万年の気温を振り返れば、現在より0.5~5℃も暖かい時期を生き延びたため、いま問題があるはずはありませんね」。
今朝読んだのですが、ちょっと読むと、確かな情報のように思えます。
しかし、この情報に何かが抜けているのがわかりますか。
そうです、ドン・イースターブルックがいつこのことを述べたかという情報です。
少し検索をしてみました。
以下の記事を見つけました。
https://www.theguardian.com/environment/planet-oz/2017/dec/19/checkmate-how-do-climate-science-deniers-predictions-stack-up
Easterbrook, a regular at climate science denial meetings run by the Heartland Institute, rejects the role of increasing CO2 and thinks that all you need for predicting future climates is to look at natural cycles of the past.
So in 2001 Easterbrook thought: “If the cycles continue as in the past, the current warm cycle should end in the next few years, and global warming should abate, rather than increase, in the coming decades.”
So it was any minute now for cooling. In 2006 Easterbrook said: “The current warm cycle should end soon and global temperatures should cool.”
In 2008 he wrote that his “predicted cooling seems to have already begun”.
That year he also wrote: “In a nutshell, in 2001 I put my reputation on the line and published my predictions for entering a global cooling cycle about 2007 (plus or minus three to five years), based on past glacial, ice core, and other data ... If the present cooling trend continues, the [United Nations climate change] reports will have been the biggest farce in the history of science.”
So, what happened?
According to NOAA, the following year, 2009, was the fifth warmest year on record, 2010 tied for the warmest, then 2011 and 2012 were relatively cool at the 11th and 10th warmest years. When the data was in for 2013, it was the fourth warmest year. The years 2014, 2015 and 2016 were all progressively ranked warmest on record.
That global cooling is just round the corner though. Any minute now.
さて、この博士が「いまシロクマは1970年代の5倍もいる」と言ったのは、ずいぶん前のことですね。その後、2006年に温暖サイクルはすぐに終わると述べています。
しかし、2006年から約13年たって、実際のデータを見ると、決して温暖化が終わっているわけではありません。
日本語のサイトは JBpressというサイトです。以前も、環境についてのひどい記事がありました。「地球の気温は1.5℃しか上がっていない」ということを書いていましたが、実は1度上がるだけでも、ものすごいことになるのです。温暖化対策は、人々を貧困に陥れるなどのようなことも書いてました。それも、もっともそうなデータを使って書いてましたが、そのデータの使い方には、疑問を感じます。
ついでにこのサイト、ニュース記事にコメント欄がありません。
なぜ、温暖化を否定したいのか、何か裏がありそうです。
地質学者ドン・イースターブルックの声も聞こう。「いまシロクマは1970年代の5倍もいるから、温暖化で苦しんでいるはずはありません。また、過去1万年の気温を振り返れば、現在より0.5~5℃も暖かい時期を生き延びたため、いま問題があるはずはありませんね」。
今朝読んだのですが、ちょっと読むと、確かな情報のように思えます。
しかし、この情報に何かが抜けているのがわかりますか。
そうです、ドン・イースターブルックがいつこのことを述べたかという情報です。
少し検索をしてみました。
以下の記事を見つけました。
https://www.theguardian.com/environment/planet-oz/2017/dec/19/checkmate-how-do-climate-science-deniers-predictions-stack-up
Cooling any minute
Don Easterbrook is a geology professor at Western Washington University who has been making predictions of imminent global cooling for the best part of two decades.Easterbrook, a regular at climate science denial meetings run by the Heartland Institute, rejects the role of increasing CO2 and thinks that all you need for predicting future climates is to look at natural cycles of the past.
So in 2001 Easterbrook thought: “If the cycles continue as in the past, the current warm cycle should end in the next few years, and global warming should abate, rather than increase, in the coming decades.”
So it was any minute now for cooling. In 2006 Easterbrook said: “The current warm cycle should end soon and global temperatures should cool.”
In 2008 he wrote that his “predicted cooling seems to have already begun”.
That year he also wrote: “In a nutshell, in 2001 I put my reputation on the line and published my predictions for entering a global cooling cycle about 2007 (plus or minus three to five years), based on past glacial, ice core, and other data ... If the present cooling trend continues, the [United Nations climate change] reports will have been the biggest farce in the history of science.”
So, what happened?
According to NOAA, the following year, 2009, was the fifth warmest year on record, 2010 tied for the warmest, then 2011 and 2012 were relatively cool at the 11th and 10th warmest years. When the data was in for 2013, it was the fourth warmest year. The years 2014, 2015 and 2016 were all progressively ranked warmest on record.
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さて、この博士が「いまシロクマは1970年代の5倍もいる」と言ったのは、ずいぶん前のことですね。その後、2006年に温暖サイクルはすぐに終わると述べています。
しかし、2006年から約13年たって、実際のデータを見ると、決して温暖化が終わっているわけではありません。
日本語のサイトは JBpressというサイトです。以前も、環境についてのひどい記事がありました。「地球の気温は1.5℃しか上がっていない」ということを書いていましたが、実は1度上がるだけでも、ものすごいことになるのです。温暖化対策は、人々を貧困に陥れるなどのようなことも書いてました。それも、もっともそうなデータを使って書いてましたが、そのデータの使い方には、疑問を感じます。
ついでにこのサイト、ニュース記事にコメント欄がありません。
なぜ、温暖化を否定したいのか、何か裏がありそうです。
Sunday, 29 December 2019
防衛とは
何を隠そう、私は小さいころから、徹底した反戦教育を受けてきた。親は、自衛隊すらも「軍」であるので、存在すべきではないと私に語っていた。理屈としては、「自衛隊すらも持たない国を攻撃するような国はない」というものだが、50年以上前は、こういう理屈も「なるほど」と思えたのかもしれない。今は、こんなことは誰も信じないだろうなと思う。
私は今でも、理想的な社会は、軍備が一切ない社会であると信じているのだけれど、現実問題として、今の社会体制に、この理想を掲げるのは無理だろうと思う。 米軍基地の周囲で、平和活動している人々の気持ちはわかるが、あまり現実的だとは思えない。
日本の自衛隊が、中東に派遣されるということで、これは、自衛隊の域を超えた、国際軍への参加なのではという意見もあるようだけれど、実際、日本国を守るためには、日本にとどまり敵の侵入を待つだけという理屈は、現在ではもう通らないのではないだろうかと思う。
国際社会の一員として、日本の責任というのもあるだろうし、そして防衛とは、侵入する敵を待つのではなく、敵に侵入されないよう措置を取ることだとも思う。
私は、地球上のに国境がある限り、本当の平和というのは到来しないと信じている。
平和を求める人々、環境の改善を求める人々が、多大な努力を払って活動しても、それを成し遂げるための土台が今の地球には存在しない。
私の希望は、戦争のない地球なのだけれど、これは、平和運動では成し遂げることはできない。平和運動では、人間の生き方、人生の目的など問題の奥の奥までは追及できない。人類が求めてきた重要な質問の答えが出せない限り、環境の問題も、戦争の問題も続いてゆくだろう。
以下、イザヤ2章4節
New International Version
He will judge between the nations and will settle disputes for many peoples. They will beat their swords into plowshares and their spears into pruning hooks. Nation will not take up sword against nation, nor will they train for war anymore.
私は今でも、理想的な社会は、軍備が一切ない社会であると信じているのだけれど、現実問題として、今の社会体制に、この理想を掲げるのは無理だろうと思う。 米軍基地の周囲で、平和活動している人々の気持ちはわかるが、あまり現実的だとは思えない。
日本の自衛隊が、中東に派遣されるということで、これは、自衛隊の域を超えた、国際軍への参加なのではという意見もあるようだけれど、実際、日本国を守るためには、日本にとどまり敵の侵入を待つだけという理屈は、現在ではもう通らないのではないだろうかと思う。
国際社会の一員として、日本の責任というのもあるだろうし、そして防衛とは、侵入する敵を待つのではなく、敵に侵入されないよう措置を取ることだとも思う。
私は、地球上のに国境がある限り、本当の平和というのは到来しないと信じている。
平和を求める人々、環境の改善を求める人々が、多大な努力を払って活動しても、それを成し遂げるための土台が今の地球には存在しない。
私の希望は、戦争のない地球なのだけれど、これは、平和運動では成し遂げることはできない。平和運動では、人間の生き方、人生の目的など問題の奥の奥までは追及できない。人類が求めてきた重要な質問の答えが出せない限り、環境の問題も、戦争の問題も続いてゆくだろう。
以下、イザヤ2章4節
New International Version
He will judge between the nations and will settle disputes for many peoples. They will beat their swords into plowshares and their spears into pruning hooks. Nation will not take up sword against nation, nor will they train for war anymore.
Saturday, 7 December 2019
日本人の読解力の低下
日本人の読解力が低下している。
日本の読解力低下=“考えが違う人”との議論少ない? 若新雄純氏「立体的な思考が必要」
残念なことだけれど、私もそれをひしひしと感じる。
考えが違う人との議論が少ないことが、一つの原因として挙げられているけれど、確かにそれは事実だと思う。
私の考えとしては、まず、考えが似ている人と話す際、話が予測できるので、きちんと話を聞かなくなるし、話し手も、いろいろなものを端折って話せばよい。そうであれば、確かに、表現力も読解力も身につかない。
この記事の中には、紙の本を読むことを進めていたが、紙の本は確かに、しっかりした文体で書かれているものが多い。一理ある。
しかし、オンラインの記事の多くは、校正が入っていないものが多く、日本語の文法の間違えが多くみられる。
翻訳の日本語原稿で、きちんとした日本語で書かれたものは少ない。
日英訳の本当の難しさは、そういう日本語を理解することだと思う。文意を読み取るということ、それを英語で表現すること。
日本の読解力低下=“考えが違う人”との議論少ない? 若新雄純氏「立体的な思考が必要」
残念なことだけれど、私もそれをひしひしと感じる。
考えが違う人との議論が少ないことが、一つの原因として挙げられているけれど、確かにそれは事実だと思う。
私の考えとしては、まず、考えが似ている人と話す際、話が予測できるので、きちんと話を聞かなくなるし、話し手も、いろいろなものを端折って話せばよい。そうであれば、確かに、表現力も読解力も身につかない。
この記事の中には、紙の本を読むことを進めていたが、紙の本は確かに、しっかりした文体で書かれているものが多い。一理ある。
しかし、オンラインの記事の多くは、校正が入っていないものが多く、日本語の文法の間違えが多くみられる。
翻訳の日本語原稿で、きちんとした日本語で書かれたものは少ない。
日英訳の本当の難しさは、そういう日本語を理解することだと思う。文意を読み取るということ、それを英語で表現すること。
Monday, 25 November 2019
勝手に思い込んで突き進む人々
人生経験が多いといっても、人ひとりが経験できることなど、たかが知れている。
様々な環境といっても、70,80年の人生で、どの程度の経験ができるだろうか。
世界は広い。人間の歴史の何千分の一を経験したからと言って、何がわかるだろうか。
人の話を半分だけ聞いて、すぐに何かを判断する人間の多いこと。
車を売りに出した。ミニクーパー、右ハンドル、スタートしない、部品取り用、2500ユーロ。
たくさん問い合わせがくる。それで、右ハンドルで動かないというと、すぐに、あきらめる。書いておいたのに、半分しか読んでいない。時間の無駄だ。
人の話をきちんと聞いてほしいものだ。
ミニクーパーと、2500ユーロが、トリガーとなって、衝動的に行動する。
それと同様、人の行動を促すキーワードがある。そのキーワードは、文章から独立し、人の行動のトリガーとなる。
時にマスコミは、それを悪用する。
発言全体を紹介せず、都合の良い部分だけ切り取って、報道する。
どこかの会社が、変なメールを送ってきた。
中古車販売の会社なら、その証拠を出せとか、 ここで車は売れるけど、買うことはできないと。人のことを知らず、勝手に、スペインの居住者資格がないと思い込んでいる。それでこういう変なメールを送ってくる。
世の中、思い込まない人のほうが少ないのかもしれないと感じる。
世界は人々の勝手な幻想に支配されているのだ。空恐ろしい。
様々な環境といっても、70,80年の人生で、どの程度の経験ができるだろうか。
世界は広い。人間の歴史の何千分の一を経験したからと言って、何がわかるだろうか。
人の話を半分だけ聞いて、すぐに何かを判断する人間の多いこと。
車を売りに出した。ミニクーパー、右ハンドル、スタートしない、部品取り用、2500ユーロ。
たくさん問い合わせがくる。それで、右ハンドルで動かないというと、すぐに、あきらめる。書いておいたのに、半分しか読んでいない。時間の無駄だ。
人の話をきちんと聞いてほしいものだ。
ミニクーパーと、2500ユーロが、トリガーとなって、衝動的に行動する。
それと同様、人の行動を促すキーワードがある。そのキーワードは、文章から独立し、人の行動のトリガーとなる。
時にマスコミは、それを悪用する。
発言全体を紹介せず、都合の良い部分だけ切り取って、報道する。
どこかの会社が、変なメールを送ってきた。
中古車販売の会社なら、その証拠を出せとか、 ここで車は売れるけど、買うことはできないと。人のことを知らず、勝手に、スペインの居住者資格がないと思い込んでいる。それでこういう変なメールを送ってくる。
世の中、思い込まない人のほうが少ないのかもしれないと感じる。
世界は人々の勝手な幻想に支配されているのだ。空恐ろしい。
ご近所さん - 多国籍コミュニティ
私のご近所さんや、時々顔を合わす友人たちの話。
私の隣の部屋のおばさん。彼女は、何人なのか忘れたけれど、スカンジナビアの国の一つ。しょっちゅうバルコニーからうちの窓をたたいて、色々話しかけてくる。
同じ階に何人かドイツ人がいる。以前同じ階に、イタリア人の女性が住んでいたが、彼女はイタリアに引き上げた。その時に、壺やお皿をもらった。
2人の韓国人がいる。一人はすごくおとなしい。もう一人は、しょっちゅう犬と外を散歩していて、良く話しかけてくる。彼女と話すときは、英語とスペイン語とドイツ語をまぜこぜにして話す。
一番上の階には、スロバキア人と、ポーランド人の夫婦とその子供たちが住んでいる。スロバキア人の旦那さんは、自動車修理工で、彼と話すときも、英語とスペイン語とドイツ語をまぜこぜにして話す。奥さんは英語が流ちょうに話せるので、英語で話す。
私の住む階の下に、イギリス人の中年女性がいる。顔を合わせると挨拶する程度。
時々、ドイツ人の年寄夫婦に合う。奥さんと、エレベーターで出会ったときドイツ語で、話をした。話をしたといっても、私は、特にドイツ語を学習したわけではない。でも、ドイツのは5年ほど住んでいいた。なぜかわからないが、一応何となく会話ができている。不思議だ。
イギリス人は、夏場になると、現れる。家からあまり外に出ないので、あまり交流はなく、たまに顔を合わせると、立ち話を2,3分するだけだ。
私の友人だけれど、まず、年寄りのイギリス人。よく気を使ってくれる。でも、スペイン人の友人たちからすると、イギリス人は愛情の表現がうまくないという。日本で育った私は、そんなことはないと感じる。
ドイツ人の友人はイギリス人よりも、人間関係に深く入り込んでくる。冷静で、知性的だが、哲学的でもある。その部分で、深い人間関係を求めるのかもしれない。しかし、我が道をしっかり歩いている。その点イギリス人は、ドイツ人より人の顔色を見る傾向を感じる。イギリス人は親切だけれど、「私は親切なのよ」といった表情は出さない。優しさや愛情は、実際的、効果的な行動で示してくれる。ドイツ人もそういうところがあるかもしれない。
良くドイツ人は日本人と似ていると、日本人の口からきくが、私はそう思わない。
ドイツ人は、日本人と全く逆といっていいほど独立心に富んでいる。そして、論理性を優先する。付き合っていて非常に楽だ。論理が正しい正しくないかに関わりなく、空気をほとんど読まず、単刀直入にものを言ってくれるのは、私にとってとてもありがたい。その点、イギリス人はもう少し「配慮」するので、やや面倒くさい時もある。そういう意味では、イギリス人は日本人と似ている。しかし、日本人よりも、論理性と個人が優先される。
イギリス人、ドイツ人両者は、論議をする。そしてそのことを負担に感じない。これは本当に助かる。
アジア人の友人たちもいる。彼らは実利的だ。しかし、ヨーロッパ生まれのアジア人は欧米化している。ヨーロッパ生まれのインド人の多くは、非常に理知的で、繊細で、アジア人のいいところと、ヨーロッパ人のいいところがうまい具合にミックスされている。イギリスで、多くのインド人が知的職業についているという印象がある。
中国人も多い。友人にはあまりいないが、行きつけのチャイニーズショップの女性は、実利的に賢そうだ。
フィリピーナは、たくましいという印象がある。彼女たちは弱みを見せない。フィリピンに住むインド人の友人が、「フィリピーナは弱音を吐かないので、インド人はその点、きつく感じる」と言っていた。
アフリカ人は、一般的に愛情の表現に富んでいる。時々、非常に個性的な人がいる。
スペイン人は、ストレートな人々だ。声もでかいけれど、頭に浮かんだことがそのまますぐ言葉になるような感じもする。でも、ベネズエラ人は、もう少しおとなしくて、繊細な人が多い。親切で、器用な印象もある。
スペイン人といっても、私の知っているのは、テネリフェのスペイン人で、どうやら本土スペインとは、異なるようだ。
私の隣の部屋のおばさん。彼女は、何人なのか忘れたけれど、スカンジナビアの国の一つ。しょっちゅうバルコニーからうちの窓をたたいて、色々話しかけてくる。
同じ階に何人かドイツ人がいる。以前同じ階に、イタリア人の女性が住んでいたが、彼女はイタリアに引き上げた。その時に、壺やお皿をもらった。
2人の韓国人がいる。一人はすごくおとなしい。もう一人は、しょっちゅう犬と外を散歩していて、良く話しかけてくる。彼女と話すときは、英語とスペイン語とドイツ語をまぜこぜにして話す。
一番上の階には、スロバキア人と、ポーランド人の夫婦とその子供たちが住んでいる。スロバキア人の旦那さんは、自動車修理工で、彼と話すときも、英語とスペイン語とドイツ語をまぜこぜにして話す。奥さんは英語が流ちょうに話せるので、英語で話す。
私の住む階の下に、イギリス人の中年女性がいる。顔を合わせると挨拶する程度。
時々、ドイツ人の年寄夫婦に合う。奥さんと、エレベーターで出会ったときドイツ語で、話をした。話をしたといっても、私は、特にドイツ語を学習したわけではない。でも、ドイツのは5年ほど住んでいいた。なぜかわからないが、一応何となく会話ができている。不思議だ。
イギリス人は、夏場になると、現れる。家からあまり外に出ないので、あまり交流はなく、たまに顔を合わせると、立ち話を2,3分するだけだ。
私の友人だけれど、まず、年寄りのイギリス人。よく気を使ってくれる。でも、スペイン人の友人たちからすると、イギリス人は愛情の表現がうまくないという。日本で育った私は、そんなことはないと感じる。
ドイツ人の友人はイギリス人よりも、人間関係に深く入り込んでくる。冷静で、知性的だが、哲学的でもある。その部分で、深い人間関係を求めるのかもしれない。しかし、我が道をしっかり歩いている。その点イギリス人は、ドイツ人より人の顔色を見る傾向を感じる。イギリス人は親切だけれど、「私は親切なのよ」といった表情は出さない。優しさや愛情は、実際的、効果的な行動で示してくれる。ドイツ人もそういうところがあるかもしれない。
良くドイツ人は日本人と似ていると、日本人の口からきくが、私はそう思わない。
ドイツ人は、日本人と全く逆といっていいほど独立心に富んでいる。そして、論理性を優先する。付き合っていて非常に楽だ。論理が正しい正しくないかに関わりなく、空気をほとんど読まず、単刀直入にものを言ってくれるのは、私にとってとてもありがたい。その点、イギリス人はもう少し「配慮」するので、やや面倒くさい時もある。そういう意味では、イギリス人は日本人と似ている。しかし、日本人よりも、論理性と個人が優先される。
イギリス人、ドイツ人両者は、論議をする。そしてそのことを負担に感じない。これは本当に助かる。
アジア人の友人たちもいる。彼らは実利的だ。しかし、ヨーロッパ生まれのアジア人は欧米化している。ヨーロッパ生まれのインド人の多くは、非常に理知的で、繊細で、アジア人のいいところと、ヨーロッパ人のいいところがうまい具合にミックスされている。イギリスで、多くのインド人が知的職業についているという印象がある。
中国人も多い。友人にはあまりいないが、行きつけのチャイニーズショップの女性は、実利的に賢そうだ。
フィリピーナは、たくましいという印象がある。彼女たちは弱みを見せない。フィリピンに住むインド人の友人が、「フィリピーナは弱音を吐かないので、インド人はその点、きつく感じる」と言っていた。
アフリカ人は、一般的に愛情の表現に富んでいる。時々、非常に個性的な人がいる。
スペイン人は、ストレートな人々だ。声もでかいけれど、頭に浮かんだことがそのまますぐ言葉になるような感じもする。でも、ベネズエラ人は、もう少しおとなしくて、繊細な人が多い。親切で、器用な印象もある。
スペイン人といっても、私の知っているのは、テネリフェのスペイン人で、どうやら本土スペインとは、異なるようだ。
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