Monday 25 November 2019

ご近所さん - 多国籍コミュニティ

私のご近所さんや、時々顔を合わす友人たちの話。

私の隣の部屋のおばさん。彼女は、何人なのか忘れたけれど、スカンジナビアの国の一つ。しょっちゅうバルコニーからうちの窓をたたいて、色々話しかけてくる。

同じ階に何人かドイツ人がいる。以前同じ階に、イタリア人の女性が住んでいたが、彼女はイタリアに引き上げた。その時に、壺やお皿をもらった。

2人の韓国人がいる。一人はすごくおとなしい。もう一人は、しょっちゅう犬と外を散歩していて、良く話しかけてくる。彼女と話すときは、英語とスペイン語とドイツ語をまぜこぜにして話す。

一番上の階には、スロバキア人と、ポーランド人の夫婦とその子供たちが住んでいる。スロバキア人の旦那さんは、自動車修理工で、彼と話すときも、英語とスペイン語とドイツ語をまぜこぜにして話す。奥さんは英語が流ちょうに話せるので、英語で話す。

私の住む階の下に、イギリス人の中年女性がいる。顔を合わせると挨拶する程度。

時々、ドイツ人の年寄夫婦に合う。奥さんと、エレベーターで出会ったときドイツ語で、話をした。話をしたといっても、私は、特にドイツ語を学習したわけではない。でも、ドイツのは5年ほど住んでいいた。なぜかわからないが、一応何となく会話ができている。不思議だ。

イギリス人は、夏場になると、現れる。家からあまり外に出ないので、あまり交流はなく、たまに顔を合わせると、立ち話を2,3分するだけだ。


私の友人だけれど、まず、年寄りのイギリス人。よく気を使ってくれる。でも、スペイン人の友人たちからすると、イギリス人は愛情の表現がうまくないという。日本で育った私は、そんなことはないと感じる。
ドイツ人の友人はイギリス人よりも、人間関係に深く入り込んでくる。冷静で、知性的だが、哲学的でもある。その部分で、深い人間関係を求めるのかもしれない。しかし、我が道をしっかり歩いている。その点イギリス人は、ドイツ人より人の顔色を見る傾向を感じる。イギリス人は親切だけれど、「私は親切なのよ」といった表情は出さない。優しさや愛情は、実際的、効果的な行動で示してくれる。ドイツ人もそういうところがあるかもしれない。
良くドイツ人は日本人と似ていると、日本人の口からきくが、私はそう思わない。
ドイツ人は、日本人と全く逆といっていいほど独立心に富んでいる。そして、論理性を優先する。付き合っていて非常に楽だ。論理が正しい正しくないかに関わりなく、空気をほとんど読まず、単刀直入にものを言ってくれるのは、私にとってとてもありがたい。その点、イギリス人はもう少し「配慮」するので、やや面倒くさい時もある。そういう意味では、イギリス人は日本人と似ている。しかし、日本人よりも、論理性と個人が優先される。
イギリス人、ドイツ人両者は、論議をする。そしてそのことを負担に感じない。これは本当に助かる。

アジア人の友人たちもいる。彼らは実利的だ。しかし、ヨーロッパ生まれのアジア人は欧米化している。ヨーロッパ生まれのインド人の多くは、非常に理知的で、繊細で、アジア人のいいところと、ヨーロッパ人のいいところがうまい具合にミックスされている。イギリスで、多くのインド人が知的職業についているという印象がある。

中国人も多い。友人にはあまりいないが、行きつけのチャイニーズショップの女性は、実利的に賢そうだ。

フィリピーナは、たくましいという印象がある。彼女たちは弱みを見せない。フィリピンに住むインド人の友人が、「フィリピーナは弱音を吐かないので、インド人はその点、きつく感じる」と言っていた。

アフリカ人は、一般的に愛情の表現に富んでいる。時々、非常に個性的な人がいる。

スペイン人は、ストレートな人々だ。声もでかいけれど、頭に浮かんだことがそのまますぐ言葉になるような感じもする。でも、ベネズエラ人は、もう少しおとなしくて、繊細な人が多い。親切で、器用な印象もある。

スペイン人といっても、私の知っているのは、テネリフェのスペイン人で、どうやら本土スペインとは、異なるようだ。


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