自分の考えが、重要な時とそうでない時を見極めるのは、とても重要なことだと思う。
自己主張が大切なのはわかる。自分自身の意見を持つことが重要なこともわかる。しかし、自分の意見が重要でない時も、たくさんある。
例えば、他の人が何をどう考えているかについて正確に把握しようとする場合、自分の意見は、関係がなくなる。
英語の正しい文法について調べる時に、自分が正しいと思うことや、自分がこうあってほしいということは、ちょっとどこかに置いておいて、まずは、資料からの情報を正確に把握するべきだと思う。
例えば、自分が知っていると考える英単語の意味を再確認する場合、もし、Oxford Dictionaryが自分の考えとは違う情報を載せていたら、Oxfordを間違えと思うだろうか。それとも、Cambridge Dictionaryも見てみるだろうか。 CambridgeがOxfordと同じだったら、両方間違えだと結論付けるだろうか、それとも、自分の考えを調整するだろうか。
いつでもどこでも、自分の考えが重要であるということはあり得ない。独創的なのは良いが、それは適切な場所にとどめるべきだろうと思う。つまらないほど、当たり前のことに聞こえるけれど、「適切な場所」がどこかということに関しては、実際の社会よりももっと幅があってよいと思う。
ところが、日本人のコミュニティーでいつも感じるのは、自分の考えが普通で、正しくて、それ以外にないと考える人が、必ずといっていいほどグループ内に存在するということだ。そういう人は、数が少ないが、自己を声高々に主張する。お山の大将という存在だ。そして、大多数は、傍観者。また数が少ない、反対者がいる。傍観者は、たまに陰で批判する。
日本社会は、個性のほしいところで個性がない。芸術面で、伝統文化以外の評価を得られないのもしょうがないかなというところ。日本人はすごいといったようなニュース記事の大方は、誇大広告のようなもので、信ぴょう性がないけれど、みんなこういうのを読みたがる。パッとしない自分の人生を、日本国民ということでなんとか自分を慰めたいのだろうと思う。何しろ、自分が何の努力もせずに、日本国民ということで褒めてもらったり、気分が良くなったりしたら、棚から牡丹餅ですからね。
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