Wednesday 11 April 2018

Q&A形式のサイトからの情報の信ぴょう性 Q&Aの使い方

自分の勉強のために、英語サイトのQ&Aで回答をしていたのですが、果たして質問者は、回答者の言うことを信頼して、納得してしまってよいものかと、つくづく心配になる。
回答者の中には、Q&Aで答えることは、自分の力試しだと勘違いして、自分の回答の根拠を提示するのを間違っていると感じている、とんでもない人もいる。そういう人に限って、回答の70%が間違えているのだ。それも自信をもって、間違ったことを言う。訂正すると、逆恨みする。質問者のためだなんて、全く思っていないようだ。
それから、Q&Aを、恨みを晴らす場所だと勘違いしている人間もいる。これも、質問者のことなど、そっちのけだ。
こういう自分勝手な状態を、 英語ネイティブたちのQ&Aではあまり見たことがない。
日本の某英語サイトは、Q&Aで、本当に変な回答が出回っている。自己主張の強い、動機がゆがんだ人間が、競争心むき出して回答しているのを、大多数の人々がただ傍観しているのだ。

さて、いくつかの英語サイトのQ&Aでも、類似した状況がないとは言えない。私はほかの日本語の英語サイトは知らないのだけれど。

英語ネイティブのQ&Aに関しては、そういう醜い争いはあまり見かけないものの、やはりそのまま信じてはまずいと思う。特定の問題に対する答えの参考として、考えておくのが良いと思う。
日本人が、正しい日本語を話しても(そういう人は少なくなった)日本語の文法について、正確に答えられるかというと、そうではない。それを考えると、どれだけの英語ネイティブが、英文法を知っているだろうかと考える。文法を知っているのは、大卒も含め少数の人間に限られるはずだ。特に、日本に来て、まあ、英語ネイティブといえば、英語を話すので、知識がなくても英語の先生になっちゃったりしているのもいる。そういう人に、英文法の話をしても、いい加減なことしか言わないかもしれない。そういうネイティブのほうが、多いと思っていたほうがいいだろう。

しかし、英語ネイティブの関わるQ&Aは、特定の問題に対する、非常に参考となる情報を提供してくれる。数人の人の話を聞いてから、もう一度、信頼できる辞書や文法書で確認することで、作業が効率的になる。

Q&Aの話は、よっぽど根拠が示されない限り、半分ぐらい疑ってかかってほしい。また、根拠にしても、根拠だと言いながら、根拠になっていない根拠がたくさんある。まるで早口言葉だけど。
ネイティブに聞いた。ではなく、どこそこのネイティブ、何人と、このように質問して、このような答えが返ってきたという言い方をしていないといけないが、聞いたネイティブがみな間違えていることもある。
また、ネイティブのQ&Aでの答えも、根拠が示されているかどうかを確認する。全く信用してしまってはいけない。
日本人には小難しい文法用語を使ってごまかそうとするのもいるから、これも気を付けてほしい。騙されないように。
そう考えると、信頼できる辞書や、文法書、また、頻度に関しては、コーパスが根拠として使用できるはずだ。

しかし、一番気を付けないといけないのは、自分の立てたQ&Aの質問が、プライドの高い知ったかぶりの英語学習者の、血で血を洗うバトルの場所と化さないようにすることだ。質問者は、回答者の野望を遂げるための、餌にされる。

相手を傷付けようとする態度は、学習という崇高な行動とは全く逆の、人間の下等な行動ですね。


2 comments:

  1. 質疑応答の中で知識を得ているのは、実は回答者だけだといつも思っていました。課題文を見て、自分が今まで何十年ものあいだに英文を読んだり聴いたり、それについてあれこれ考え、中間報告を何回も出し、それを何度も覆しては新たに仮説をたてなおし、質問が出たときに改めて再び考え直し、いろいろと調査しなおし、そして回答する。そういう態度で回答している人だけが、回答しながら新たに大きく成長しているんですよね。

    そして質問者が、新たに学べるときはあまりないのですよね。僕も wordereference.com や Stack Exchange などの英語ネイティブが回答してくれるサイトで質問を何十回も提起してきましたが、そこで僕が本当に学べているかというと怪しいものです。というのも、本当に僕が相手からの回答に納得し、それが自分の血となり肉となるには、自分が相手のレベルにかなり接近していないとダメなのです。相手のレベルよりもはるかにはるかに僕のレベルが低い場合には、せっかく教えてもらったとしても、そしていくらわかりやすく解説してもらったとしても、やはり僕が得られるものは少ないのです。

    それならどうするか?結局は自分は最初から独学する覚悟でいないといけないと思っています。誰にも質問できず、何もかも自分一人でやらないといけないと覚悟しながら、ごくたまに、自分が長いあいだに自分なりに構築してきた中間報告的な仮説が正しいかどうかを最終確認するためだけに質問するのです。そのときにだけ、僕は何とかいくらか相手の回答から何かを学ぶことができると思っています。

    しかしそれでも、世の中では辞書で調べればわかりそうなことでも質問する人がいます。それにはよく腹が立ってしまいますが、よく考えると、彼らは実は人間関係を求めているだけのようです。たとえわかりにくい解説でもいいから、ともかく声をかけてほしいようです。辞書や CD などから教わるのではなく、血の通った人間から、自分の提起した質問に直に答えてくれるときのそのぬくもりを原動力として、彼らはまた勉強しようと思うのかもしれません。そう考えると、たとえ間違った回答であっても、彼らはそれなりに満足なのかもしれません。また、回答者の方も真理を求めるためではなく、むしろ人間関係を求めて回答しているに過ぎないのかもしれないと、僕はいま思っています。

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  2. 質疑応答の中で知識を得ているのは、実は回答者だけ
    これは本当だと思います。といいうのは、良い教師というものは、生徒の質問の答えは言わないものです。むしろ、生徒にさらに質問して、正しい答えにたどり着けるように、導くことだろうと思います。それを繰り返すことで、生徒が学ぶのは、知識ではなく、自分で答えを探す方法です。
    それから考えると、Q&Aで質問して、答えを教えてもらうというのは、勉強ではないのでしょう。

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