Tuesday 17 April 2018

空気を読むマイノリティかな





 Coastal de El Sauzal
Photo by Felicia Jarvis

私は子供の時に、自分は少数派として生きていこうと決心した。人のゆかないところに行き、人のやらないことをやろうと。それで初めて、自分の存在意義が感じられる。
だから、いつも人とは反対の方法を見ようとしていた。

しかし、人がどちらを、どういう理由で見ているかがわからなければそれができない。

私の観察は、いつも、手の足りないところに、自分の手を差し伸べるものだった。

社会性とは、そういうものではないのだろうか。

ステレオタイプではなくなること、人とは違うことをする人間を、空気が読めないというのではない。不必要に、人手の足りているところへ盲目的に訪れ、いらぬ仕事をする人間のことを、本当は空気が読めない人間とすべきだ。

とりあえず、人に褒めてもらうことはあきらめよう。

それでもいいではないか。

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