Wednesday, 17 April 2019

日本と日本文化に対する執着心のなさ

海外に住むと、無性に日本食が食べたくなるという時期があるようですが、私の場合、材料が手に入りにくいことや、比較的高価であることだけではなく、特に必要を感じないので、本格的な日本食は食べていません。
また、海外にいると、日本人という事で、日本の伝統文化に絡ませて、自分の作品を紹介する人もいますが、私にはそういう気持ちが全くありません。

私は確かに、日本で生まれ育ち、その文化の影響を受けていますが、日本文化を前面に押し出して、自己表現したいとは全く思わないのです。それをすると、嘘になるからです。

日本文化への理解を 深めたいというのは、自己を模索する理由であって、それを利用したいとは思わないのです。

むしろ、無国籍状態を目指してゆきたいです。

国家主義がもたらしてきた罪悪を日々観察していると、特にそう思います。

勿論、日本文化の良さも認めているつもりですが、日本文化があまり理解されていない海外で、自分の力量のなさを隠すための隠れ蓑として使うのは、好きではありません。

Saturday, 13 April 2019

私はなぜコラムが苦手か

自分の書いたものを読み返してつくづく思う。人を引き付けるような文章は、私には無理だと。何がいけないかというと、多くの人との共通点が、少ないのだとおもう。

絵画や音楽は、作者の考えというものがそのまま直接的には表現されない。何らかの形でされたとしても、それ以外の、色や音、形などの美しさで人を引き付けることができる。でも、文章ではそういうわけに行かない。美しい文章というのもあるけれど、やはり、絵画や音楽と比べると、考えがそのままズバリと出る。それでも詩は、間接的な表現ができる。それで、私は詩を書くことは、楽しいと思う。でも、コラムは、うまく書けない。日本語の文法の問題ではなく、表現される考えが、誤解を招くか、多くの人と異なってあまり共感されないという事だろうと思う。

Friday, 12 April 2019

大きな隔たり

こんなことを書くと、嫌がられるかもしれないけれど、私には、多くの人々が楽しんでいても、私には退屈で仕方がないものがたくさんある。

ある種の音楽もそれに含まれる。アップビートで、いかにもユーモラスで、普通人が楽しいとか、面白いとかいう音楽が流れてくると、それが終わるまで黙って耐えている。

サーカスの道化も、終わるまで黙って耐える。人々が大笑いしている時に、私は必死に退屈さに我慢している。

映画では、人々が興奮してみる、チャンバラシーンや、カーチェイス、喧嘩の場面、スーパーヒーローの戦いを早く終わらないかと我慢している。

スナップ写真も、我慢している。自分では取らないけれど、好きな人もいるので、拒否はしないけれど。

 スポーツ観戦も苦痛だ。

自分の興味や関心が、あまりに人と違うので、いろいろ遠慮をして、我慢して生活してきたけれど、その我慢を、そう簡単に人に見せるわけにもいかない。そういうことで、自然に付き合いが嫌いになってきた。

周囲にあって手に入りやすいものから 、喜びを得ることができないので、一生懸命良いものを探していた。喜びがなければ、生きている理由がない。でもその喜びというのは、楽しい生活という事ではない。深いものに接した時に味わうことができる感動や、何かを成し遂げたときに味合う達成感なのだろうと思う。

私は、そういう意味で、根っからの堅物なのかもしれない。その割に、決まりを守ることは大の苦手なのである。

いったいどういう人間なのだろう、私は。。。


空白の頭

テネリフェについて記事を書こうとすると、アウトライン以上に突っ込むことができず、何とも言えずつまらない記事になってしまう。それほど、テネリフェの文化に入り込んでいないようだ。人付き合いもあまり得意ではなく、子供のころから一人で、家の中に閉じこもり、本を読んだり、絵を描いたり、歌を歌ったり、一人で遊ぶことが多かった。テネリフェにも、日本人の集まりがあって、いろいろ楽しんでいる人も多いようだけど、どうも、大勢でワイワイするのは、心底苦手。そういうことが好きな人は、周囲からいろいろ学び、その文化を味わう。やはり、テネリフェについて書こうとすると、頭が空白になるのは、私のそうした、孤独好きな性格が原因だろうと思う。


 崖っぷちのアパートの窓から見える風景に、心ときめかせても、これは文化ではない。風景画を描くことはできるけれど、この景色からテネリフェを十分語ることはできない。




Wednesday, 3 April 2019

血が語る

私は占いは信じないし、そういうものに操られて人生を送りたくないと思っているけれど、どうしても、血液型については考えてしまうところがあります。
血というものは、あまりにも不思議な液体で、動物や人間の体の中で、いろいろな役割を果たしています。酸素や栄養を体中に運搬したり、体に侵入した悪者をやっつけたり、傷を治したりなどが挙げられますが、多分、血液の働きについて、まだまだ分かっていないことがたくさんあるだろうと思います。生物学的な意味でも意味深いのですが、さらに、心理学的にも、宗教的にも、血液は重要な意味を持っています。

聖書が血に言及しているところを、ざっと見ますと、
創世記9:4、レビ記17:11、14、使徒15:20、コロサイ1:20などが挙げられます。
こうした聖句を総合しますと、
1.血は魂(命)を象徴する、
2.血は神にとって神聖な者、
3、血を食べてはならない、
となります。

単刀直入に言ってしまうと、血は魂、つまり、動物や人間そのものを表します。(ヘブライ語ではネフェシュ[נֶפֶשׁ]、ギリシャ語ではプシュケー[ψυχή] お手数ですが、この意味についてご自分で検索してみてください。)




さらに、血を実際に見たときの、心理的な影響なども、興味深いものがあると思います。
血を連想させる赤、それを見て、人はいろいろなことを感じます。情熱、怒りなどを表現するには、赤は最適な色です。他の人の注意をひく色でもあり、広告業界では、目玉商品やセールの表示に使われています。

こうした赤を、特別な色にしているのは、人間が血に抱く、特別な感情があるからでしょう。

Monday, 25 March 2019

正直に言いますと

正直に言いますと、最近、ケーキを作っています。
週に一度、ティラミスのようなものを作り、ここのところ、チョコレートシフォンケーキを焼いています。

実験のようなもので、毎回、作り方を変えています。ティラミスのようなものというのは、実際、マスカルポーネを使わず、一番安いクリームチーズを使っているので、ティラミスとは言えないうえ、そこにさらに、自分のアイデアを加えているからです。私は、レモンを使い、また、黒砂糖と蜂蜜で甘みを出しています。レモンの分量がおいしさの決め手となっています。

チョコレートシフォンは、まだ2回しか焼いていませんが、これは、メレンゲが上手くできるかが決め手となるでしょう。
メレンゲを作るときに、水や油が混ざっていてはいけません。
 やはり、黒砂糖を使っています。

自分で作るほうが、健康的で、家計にも優しく、作る方を覚えてしまえば、それを発展させて、新しい味を発見できるのではないかと思います。

私の場合、一つのレシピだけを見るのではなく、複数のレシピを見て比較しながら作ります。一旦、分量や手順を覚えたら、あとは自由に変化させて楽しみます。

Sunday, 24 March 2019

哲学は何かの解決策になるか?

哲学というものは、悩みを解決するものではなく、悩みを認識させるものだと思う。
人生の目的についての答えを探すものではなく、その質問をさらに深めるのが、哲学なのではないかという気がして仕方がない。

数か月前にFacebookのアカウントを削除し、昨日は、Twitterをやめた。
 Twitterは、本当に多くの人たちがいろいろなことを言っているけれど、それがみな頭に残って、いつまでもグルグルまわるので、時々神経を病みそうになる。そんなことを考えること自体、もうやられているのかもしれない。
それでも、何か得られるものがあるかもしれないと思って、美術館や、作家や、音楽家をフォローしてきたけれど、 なんだかつまらなくなってしまった。もしかしたら私は、ただ単に飽きっぽいのかもしれない。

Twitterで書いていたら、詩が書けなくなった。小さなストレスがこまめに発散されるので、詩を書く必要がなくなってしまったのかもしれない。もっと、爆発するぐらい何かを貯め込まないといけない。 でもこれも、言い訳なのかもしれない。


だからこれから、だれが見るとも知れないブログで心の内を綴ろうと思う。

忘れていた

 最近、音楽を聴こうという気分になった。それで、何を聞こうと探していたのだけれど、聞きたいものが特にない。それでも何か聞きたいので、まず マックス・リヒターが、アレンジしているビバルディの春は、気持ちがよかった。 その後、 ブラームス、それで何か、もっと新しくて、感動できるものと...