Friday 12 April 2019

大きな隔たり

こんなことを書くと、嫌がられるかもしれないけれど、私には、多くの人々が楽しんでいても、私には退屈で仕方がないものがたくさんある。

ある種の音楽もそれに含まれる。アップビートで、いかにもユーモラスで、普通人が楽しいとか、面白いとかいう音楽が流れてくると、それが終わるまで黙って耐えている。

サーカスの道化も、終わるまで黙って耐える。人々が大笑いしている時に、私は必死に退屈さに我慢している。

映画では、人々が興奮してみる、チャンバラシーンや、カーチェイス、喧嘩の場面、スーパーヒーローの戦いを早く終わらないかと我慢している。

スナップ写真も、我慢している。自分では取らないけれど、好きな人もいるので、拒否はしないけれど。

 スポーツ観戦も苦痛だ。

自分の興味や関心が、あまりに人と違うので、いろいろ遠慮をして、我慢して生活してきたけれど、その我慢を、そう簡単に人に見せるわけにもいかない。そういうことで、自然に付き合いが嫌いになってきた。

周囲にあって手に入りやすいものから 、喜びを得ることができないので、一生懸命良いものを探していた。喜びがなければ、生きている理由がない。でもその喜びというのは、楽しい生活という事ではない。深いものに接した時に味わうことができる感動や、何かを成し遂げたときに味合う達成感なのだろうと思う。

私は、そういう意味で、根っからの堅物なのかもしれない。その割に、決まりを守ることは大の苦手なのである。

いったいどういう人間なのだろう、私は。。。


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