Saturday 20 April 2019

人種差別

見慣れないものから離れようとするのは、ごく自然なことかもしれない。
以前、アメリカ人の友人たちが、ドイツの田舎でキャンプをしていたところ、ネオナチに襲われた。幸い、キャンプ場の支配人という女性が、これらネオナチたちに、「お前らはドイツの恥だ」と声をあげ、すぐに警察を呼んでくれたので、大事には至らなかった。立派な女性だ。

20年ぐらい前は、田舎、つまり、今まで黒人を直に見たことのない人が多く住むところにネオナチたちはたくさんいた。勿論都会にもいる。以前住んでいた街は都会だったが、そのすぐ近くで、トルコ人家族が家を燃やされて、子供たちも含め焼死してしまった。

田舎には特に、なじみのない人種に対する違和感、嫌悪感を感じる人々が比較的多くいるようだ。白人の中には、人種差別はいけないと知りつつも、どうしても、アジア人になじめない人々もいる。実際そういう人々に何度も出くわした。ひどいのになると、日本に住んでいながら、そういう白人もいた。
 そういう人々は、特に、社会的な恨みも何もない。でもどうしても異人種になじめないのだ。そういう人種差別者を、田舎者と呼んで差別したくなるが、 それは、彼らと、田舎の人々に対する差別となってよろしくない。

まあ、人間だれしも、 特定の種類の人々に対し、優越感や劣等感を持っている。それがたまたま人種の違いからきていると、人種差別という事になる。

そういうものは、頭で理解して、少なくとも行動や判断に自分の差別的感覚が反映されないように、気を付けなければならない。

または、そういう人々と敢えて接してどういう人々かを観察し、自分を慣れさせるのが、良いのかもしれない。

2 comments:

  1. 僕が8年間住んでいたデトロイトでは、あらゆる人種がいましたが、人種差別もなかなかひどく、白人以外お断りの地域もありました。今はもうなくなっていますけどね。

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  2. なるほどね。。。最近は、差別に対してみな神経質になっているようですが、半面、差別する人々は、どんどん差別的になってきているようですね。そのうえ、差別の根拠も多様化しているようです。差別についての共通の定義づけがあれば、物事がもう少し分かり易くなるだろうなと思います。

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