Wednesday 17 April 2019

鼻持ちならない権威主義に対抗するために権威主義を利用しないようにするのは大変だ

水戸黄門という番組があったけれど、権威を盾にとって、可哀そうな民衆を苦しめる悪人を、もっと高い権威から成敗するという番組だ。
権威には、権威でしか抵抗できないのだろうか。悲しい。

確かに権威そのものが悪いのではない。権威を世のため人のために使ってもらえるなら、ありがたいことかもしれない。でも、そんなことが上手くできる、心優しい権威者というのは少ないだろうと思う。そもそも、貧乏人の気持ちを金持ちが理解するには、かなりの高いレベルの思考力と想像力、そして、いわゆる「仏様(私は信じてないけど)のような慈悲の心がないと無理だ。

権威者が必ず金持ちだという事ではないけれど、まあ、金力、権力、あとポピュラリティは、世の中を渡ってゆく力だと言える。

でも、芸術の世界に、権威主義はよろしくない。

どこそこの偉い先生の配下にあるというだけで、評価され、威張られても困る。究極的に、芸術は自由で、上下などつけられるものではないと私は考える。競争心丸出し、権威主義的な芸術家など、鼻っから信用できない。作品だけで、勝負しておくれと言いたい。


テネリフェで、いい加減な日本文化を教える人がいるというが、もちろん私のことではない。私は日本文化を教えようなどとは全く思わないし、頼まれても、よっぽどお金をもらわない限り断るつもりだ。でも、いい加減な日本文化だから、楽しく習う人がいるのではないだろうか。そもそも、日本文化にオブラートを書けない限り、西洋人が楽しく学ぶことはできないはずだから。

こんなこと書いても、誰も読まないかもしれないけれど。




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