Saturday 2 November 2019

人々はとにかく有名人を遠慮なく批判する

不思議なことに、有名人は、容赦なしに批判され、プライベートな行動まで観察される。
批判者は、本人がそれをされたら、さぞ怒るだろうなというようなことを平気で有名人に対してやる。


ある、漫画風の動画を手伝おうとした。内容は、倫理的な内容で、健全そうなのだが、一か所、某有名人の批判が入る。それも名指しで。
これが有名人ではなく、友人なら、人間誰にも間違えがあると、大目に見てもらえるのだけれど。平気で個人名をあげられ、プライベートな失態が明るみに出る。

私が動画の矛盾を指摘したら、こんどは音信不通になった。ストーリーは、事実に基づいているとされている。だから、きちんと調べれば、情報が正しいかどうかすぐわかるのだ。やはり、自分がかかわるものは、きちんとしていないといけない。特に、倫理的に人に影響を与えようとするものはそうだ。でも、批判ではなく、良いものを作ることに関わりたかったからなのだけれど、「仕事」としてみてはもらえなかったらしい。

私はこのまま音信不通であればいいとひそかに思っている。もし、きちんと反省、または反論してきたら、尊敬ものだ。良いものを作りたいという熱意は、こういうところに現れる。何も言ってこないのは一番悪い。

批判する人間は、さぞかし批判されても動じないだろうと思われるが、意外と、自分が批判されるのには耐えられない人間が多いようだ。ずけずけとものをいう人間に、ずけずけと物を言うと、驚くほど傷つく。自分のことを棚にでも上げなければ、人のことは批判できないものだ。

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