Saturday 2 November 2019

批判の目的

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191102-00205425-hbolz-soci

ある宗教団体との関係を持つ政治家云々の話が出た。
そもそも、宗教の自由は、保証されなければならない。「小さな宗教団体=洗脳=悪い」の方程式は、日本の民衆にしっかり根付いている。これは、人種差別と同格のように感じる。

小さなといっても、それは、神道、カトリック、プロテスタント、イスラム、ヒンドゥー教の有力な団体と比べて小さいということで、本当に小さいわけではない。

私は、宗教が政治に与える影響を、あまり好ましいとは思っていないが、基本的に、それは避けられないものだとも思っている。今の政治体制は、土台からおかしいのだ。

日本人の生活は、神道の教えに深く根ざしたものではあるが、問題は、実質的な神道信者には、信者である自覚がないことだ。要は、盲目的なのである。こんな恐ろしいことはない。この盲目性が、日本の社会の精神的な国際化を阻んでいるのだと私は思う。
さらに、神道の教えは、コメの生産性を目的に形成されている。精神性は、コメの出来高で、その価値が判断される。この点、キリスト教の精神とは全く違う。悪いことに、コメがとれれば、他の宗教の教えや行事も取り入れる。
良く周囲を見渡してほしい。クリスチャンでもないのに、クリスマスを祝い、そういう祝い事が、学校や会社の人間関係の構築に使われていないだろうか。自覚のない神道信者が、他の宗教者を差別するのはよくない。

自分の所属する宗教を、堂々と紹介できる社会出会ったらよいのに。

ところで、

https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019110690135430.html

上のニュースには驚いた。政権を批判した内容の芸術に、日本政府がこのように反応するとは。

神道では、上位の権威には黙って従えという教えがある。批判することは悪いことだとは思っていないと、多くの人は言うかもしれないが、心の中のどこかで、批判に対して罪悪感を感じている人も多いと思う。

それと同時に、批判の目的についても考えた。批判される側が、聞く耳を持たないのであれば、批判の意味がないような気がする。
時に、批判の目的は、物事の改善ではなく、もっと別のところにある。
世界中で、今、デモンストレーションが行われているが、彼らは、何を求めているのだろう。きっと、人によって違うのかもしれない。

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